不便さと与えられた便利さ

不便、不満と言うのは、改善や改革の第一ステップと思います。しかし、生まれながらにしての、便利さや自分が不必要な事柄にはほとんど興味を示さないのが普通ではないでしょうか。                                              

例えば武雄市としての高速バス

武雄市は国道も通り、高速道路もあります。自家用車の時代です。1時間チョットで博多も長崎も行けます。JRだと佐世保線で特急停車駅でもあり便利です。これに新幹線でも停まれば言う事なしでしょう。武雄で高速バスについての話しはほとんど聞きません。

高速道路の便利さだけです。高速バスで観光客を迎える話しは、あまり聞きません。武雄の方は本当に誰も高速バスを必要としてないのかも知れません。

ある議員の方が高速バスの武雄市停車に対して不満を持たれておられました。なぜ市内への乗り入れが無いのかと。

私は個人的に当然だろうと思いました。それは嬉野方面、唐津方面に限らず、高速バス利用度を博多から見れば歴然としています。

武雄は停まらんとバイ。長崎行きの時刻表を見たらいい。

なんでも目的地ではなく通過点になるのは嫌です。

しかし通過点にさえもならない地域があることを考えれば、今が良しとか思わず、与えられず苦労して頑張って活路を見出している地域に学ぶ必要もありはしないでしょうか。(そりゃ、どこネ?) 

空気と水は只だと思っている日本人と言われますが、現在はそれらも金がいる程の価値になってきました。便利さは人間から研究熱心さを奪うのかも知れません。

なんかエラソーに、こ難しい話しになり、スイマセン。          

by ta-ke-58-ta-xi | 2006-06-30 10:41 | 観光?