後藤貴明・・永島 貴明寺 木像。そして・・北方町 光明寺 お墓。

どういう訳か・・歴史続きで申し訳ありませんね・・(汗)。

武雄市の成立において 中世の時代・・・。

この 後藤貴明 は・・当時の武将達と同じく・・戦国の世を 幾多の戦乱と勢力争いに腐心した人物です。
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その彼の 木像が・・・永島 にある貴明寺 さんに 祭られております。
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詳細は省きますが・・・彼は キリシタン大名と言われた・・島原を中心にしながら 現在の佐賀県西部までも 勢力下においていた・・ 有馬家 。

彼は その有馬家・・隣の 大村家に生まれています。こちらもキリシタン大名として有名です・・・。

当然 武雄 後藤家と挟まれた格好になりますね。

ある時、強大な有馬家から、 息子が養子縁組みとして大村家に ・・・。

結果 そのあおりをくって・・本来はその大村家を継ぐ予定だったのに、武雄 後藤家の養子に出されるはめになったのです。

複雑な・・・・貴明。
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これらの経緯もあり 終生 大村家を恨み その戦いに明け暮れることになりました。

なおかつ 佐賀県東部の巨大な勢力になりつつあった・・龍造寺隆信との戦いにも・・精力を注ぎ込まねばならなくなったのです・・・。

四面楚歌・・・そんな中 勢力拡大を図ります。

しかし・・貴明 後の跡目相続争いに・・・結局 龍造寺隆信の応援を得なければならず・・・やむを得ず その三男 家信 を受け入れる結果になったようです。

複雑・・・・貴明。
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そして・・北方町 芦原 の 光明寺に 隠居することになったようです。
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その光明寺 さんを 訪ねて見ました・・・。

勇猛山 麓 にありました。
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貴明の夫婦のお墓だそうです・・寂しいなあ・・。
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急な石段の側に・・・ひっそりとお墓は・・ありました。

この辺一帯は 古墳や山城址 などもあるようです。

昼なお暗い・・林の中に・・・松浦党関連の墓なども周辺にあり・・栄枯盛衰を感じさせます。
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生涯を賭け・・・その覇権争いに終始した 戦国武将 後藤貴明・・。

人知れず・・・と言っても知っている人は多いかもしれませんが・・静かに この地に眠っています・・・(涙)。

隠居後は、自分が築き上げてきた武雄が・・・龍造寺家として確率されていく姿を・・複雑な思いで眺めながら・・歴史に埋もれていったのではと・・・想像します。

勝手な思いですけど。
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ワタクシは・・武雄市の繁栄の一端は・・実はこの 後藤貴明 が・・端緒として・・重要な人物ではと・・・思っています。

・・彼の一生こそ・・武将として・・戦国の世の儚さの典型なのでしょう・・・。

しかも・・彼は・・・佐賀県のみならず・・長崎県にも影響を良くも悪くも・・・与えているのです。

佐世保方面にまで・・手を伸ばしているようですから。



境内には 白い花々が咲き乱れ・・彼の事跡は・・もう遠い過去の出来事であることを・・・自覚させられました。


貴明よ・・静かに眠れ・・合掌。


※貴明寺 さんや 光明寺 さんには 急な訪問にも関わらず・・快く 見学させていただき ありがとうございました。
特に 光明寺 ご住職には 貴重な お話も頂き 感謝申し上げます。

by ta-ke-58-ta-xi | 2008-05-04 15:17 | 歴史?