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鍋島藩と大村藩・・俵坂関所跡・・。明治維新への道・・。

長崎街道・・現在の佐賀県嬉野市と長崎県東彼杵町の間に・・・俵坂関所跡があります。

当然・・長崎から・・欧米の情報は、京大坂、江戸へと、もたらされました。

長崎に行ったことがある歴史的有名人は、みんなここを通っています。
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(国道34号線・沿いにあります。)

そう言う意味で、長崎奉行や長崎警備は重要であり、かつこの長崎街道は佐賀県にとっても重要な・・文明・文化の道でもあったと思われます・・。
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街道を通った当時の人々は、武雄温泉や嬉野温泉で、旅の疲れをとるのが・・・さぞや楽しみのひとつではなかったかと思います・・。

今も昔も・・疲れは温泉でとるのが一番!!。

現在はこの県境の峠・・車でスイスイと行けますが、当時の街道は、山あり谷あり・・・大変な難所と想像されます。

文明、文化の窓口・・長崎への往来として、その存在意義があった・・俵坂関所跡・・。

自動車、鉄道、飛行機・・・に変りゆく中で、結局忘れられていく運命なんでしょうね・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-31 08:46 | 歴史?

大怪獣 ラドン!!・・と言ってもネー・・。ご存知でしょうか・・。

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阿蘇山から、現れた・・大怪獣ラドン。公開・・1956年 12月。

東宝 特撮 円谷英二ですよ!!。・・古いなぁ・・何か最近・・懐古趣味みたい?!。

・・・で、その怪獣映画の中で・・ラドンが壊した「西海橋」・・・。
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こちら本物は、1955年 12月に開通・・破壊の一年前に完成。

この橋・・当時もの凄いニュース。観光客バンバン!!。(・・・そのように記憶している・・。当時少年だったもんで・・)

なんせ・・渦潮で有名な伊ノ浦瀬戸、その上に当時の技術を結集した、画期的な橋。その橋の長さが東洋一とか・・更に「これが、あの ラドンに壊された橋か!!。」・・と言う事もあって・・・超人気スポットに!!。

・・開通 1年後位の・・この大橋を・・よくも破壊してくれましたね?!・・的な感じもあったり。

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そして 2006年・・昨年ね。50年ぐらいたっちゃった!!!・・。
年取るはずだよなぁー(落涙)。

そのラドン橋の・・すぐ側に「新西海橋」が開通。↑の写真と↓の写真ね。
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映画では西海橋を壊して・・ラドンは博多上空に現れ・・天神や新天町を軒並みぶっ飛ばした。このラドン・・あの岩田屋の屋上で、休憩? したような気がした・・。

橋を挟んで・・佐世保市にはハウステンボスも出来たり、西海市となったり、いろいろ変りました・・。

御土産としては、海産物は勿論・・みかんも美味しいところですよね!!。

当時・・このラドンに限らず・・全国各地を壊してまわった怪獣は、結構 観光や地域活性化に、一役買ってた訳ですよ。

ゴジラ、アンギラス、モスラ・・・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-30 18:16 | 観光?

給食について・・・。

最近給食の支払いについて、親の責任のあり方がマスコミを賑わせています。

ワタクシの小・中学校時は、給食施設がなく弁当が主でした。(古い話)

その給食を将来進めるからと、家の新聞やいろんな不要品を集めて・・それを業者の方に売って・・・給食施設の足しにするという時代でした。

だから・・ワタクシが卒業してから、数年後に給食が始まったようです

どちらかと言うと、あの当時の生徒は、弁当のおかず等に・・なんとなく人に見せられない恥ずかしい思いをした者が、ほとんどだったと思います・・。

女の子は、ほとんど蓋で隠して見えないように・・食べてましたね(涙)。

卵焼き、佃煮、梅干、漬物・・・。いい記憶はないです・・。

給食当番ならぬ、冬には弁当温めの当番があったりしました・・。
弁当を温める蒸気の設備とか、炭で温めるものが、学校にありました。

特に炭で温める設備は、まんべんなく温まる訳ではないので、その場所が先生によってきめられてました・・巡回制です。

・・・あたたかくなる場所と冷たい場所の落差がひどくて・・早くいい場所にならないかと思ってました。

弁当箱がアルミ??・・でしたから・・冷たいのがイヤで。

・・・だから給食の話を聞くと、昔・・恥ずかしかった弁当時間の事と、一度給食を食べて見たかったと言う・・羨ましさを感じますね・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-29 08:31 | 食べ物

大雪の恐れは?・・。スタッドレスの準備・・。

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暖冬と言われながらも・・・急激に大雪が降るときもあるし・・。
交通の混乱を起こすような大雪は・・・正直こまりますね。
お客様に迷惑をかけることを思うと、本当にいやですね。
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大村湾・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-28 21:12 | 仕事?

農産物 無人販売店・・・。

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武雄市内にある・・・無人販売店
こんな施設が出来る土地柄と言うのは、いいですよね。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-28 08:19 | 施設

子供の頃の遊び・・。思い付くまま・・。昭和20年代~30年代・・。

この佐賀県の片田舎では・・小学生の低学年の遊びには、先輩らと集団で遊ぶものが多かった。

●ペチャ・・と我々は言っていた。いわゆるメンコのことだと思う。
力士の絵などが書いてあり、いろんなルールで遊んだ。ワタシャ・・・弱かった!!。よく相手にペチャを勝取られていた・・。

●ドロボ警察・・と呼んでいた。もちろん似たような・・カン蹴りもやっていたが・・。
これは、ドロボーと警官に分かれて、まずは最初にドロボー班がアチコチに隠れる。
それを、警官班が見つけて探すのである。

中には、とんでもない遠い所まで逃げて隠れ、みんなで探すのに苦労した・・。また逆に隠れているのを探しに来ないと・・ワザと出て行って見つかるようにしていた。見つけてくれないのも寂しいもんでしたね・・。
残った一人を探すのを諦めて、皆が勝手に自宅に帰ったりもしてましたね。

あの時の○○チャン・・そのままいなくなったけど、どうしてるかなあ・・。まだ隠れてるのか?・・な訳ないですが・・(笑)。

●八の字・・・これは地面に、八の字みたいな線を引いて、そこからはみださないようにしながら、戦うものでした。これは、女の子と一緒に、学校なんかで遊べる内容でもあった。

●将棋の山崩し・・。将棋板に積み上げた将棋を、音を立てずに・・いかによけいに獲得するかというもの。
アッ!。今カチャッと音のしたバイ!?」と言っていた・・。

●テボ、つけ針・・とか言っていたが、うなぎとりのもの。
テボは、うなぎをとるための、竹篭の長いもの。これにミミズなどをいれて、前日に川の狙った場所に置いておく。
翌日・・それを揚げに行く。ガサゴソと音を立てると歓声!!。
つけ針も、自分で小さな竹に糸針をつけ、うなぎが寄りそうなところに、前日からアチコチに置いておく。
早朝、それを揚げにいく。うなぎは、もちろん食用だが・・。ワタシャ1回のみ、かかったなあ・・。
正直、上がってきた時、ヘビかと思いました?!。

●鉛筆のキャップでロケット、空気銃でのスズメ打ち・・先輩達に教えられながら、危険な遊びもやっていた。
今思えば、とても子供達にはさせられない。
だいたい同級生の兄ちゃん達が、教えてくれると、怖いもの見たさに・・。危険な香りがするものに、憧れみたいなもんもあるし・・。

●キサランがボッテ・・・。これは言葉として・・ほとんどわからない人が多いと思う。
いわゆる独楽のこと・・。方言で・・独楽に当らないとビリになりますよ・・と言う意味ではないか?!。
独楽の先に尖った鉄がついている。これを相手に投げつけたりして、永くまわっているのが勝ち。
これも、独楽まわしの技術向上や独楽に油を塗ったりして、強度を高め戦った・・。

これを書き出したら・・・昔負けていたことを思い出し・・・だんだん血が上ってきた・・・ワタクシです・・(苦笑)。


その他まだまだありますが・・・倒れたらイケマセン・・・今日はこの辺で・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-27 08:37 | 昔話

日めくりカレンダー・・・。今だに・・言われています。

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1月も終わりに近づいているのに・・。

日めくりカレンダー 残ってない?・・。お客様からの問い合わせ・・。

今年は・・なぜ?・・。

いつもより多い気がする・・。

結構・・多めに刷ったのに・・(涙)。

申し訳ないです・・。もう在庫ないんです・・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-26 18:22 | 仕事?

天保の嵐・・。第2・・。平山醇左衛門・・悲劇の人。

武雄市山内町鳥海に墓はある。
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年表

●1836年   天保 7年  榎本武揚 誕生。

●1837年   天保 8年  板垣退助、徳川慶喜誕生。
大坂町奉行 大塩平八郎の乱。

●1838年   天保 9年  大隈重信、中岡慎太郎、山県有朋誕生。

●1839年   天保10年  蛮社の獄 渡辺崋山、高野長英らへの弾圧。

●1840年   天保11年  桜吹雪で有名な遠山金四郎さん北町奉行(鳥居耀蔵とのライバル)

高島秋帆 長崎奉行に洋式砲術の採用を建議。これに対し鳥居耀蔵 反対意見を幕府提出。鳥居は、狙っていたのか・・。
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(写真拡大できます。)

●1841年   天保12年  伊藤博文誕生。
水野忠邦(元唐津藩主)天保の改革進める。鳥居もその下で、市中取締の徹底強化

そんな中に高島秋帆、平山ら弟子を連れて 武州 徳丸が原にて砲術の大演習。大成功し・・幕府からも報償される。鳥居・・これらの動きに危機意識をもったのか、謀反の疑いを向けてくる。これ以外にも、理由は様々と思うが。

そうとは知らず・・平山、佐賀の本藩でもオランダ砲の指南役になる。
佐賀本藩も・・まさか幕府で、別の動きがあるとは・・気付くわけがない・・・(素人の推定)。

ここまでが絶頂期か・・・

●1842年   天保13年  平山の師である高島秋帆、鳥居のデッチあげの罪で投獄
その動きに対し、佐賀本藩及び武雄領・・驚愕・・。その対応をめぐり、動揺広がる・・・。

そりゃビックリするよねー。今まで幕府公認みたいにやっていけると、思っていたものが、突然嫌疑をかけられる訳だから・・。

・・この時期・・国定忠治 赤木山を今宵限りと・・去る?!・・。

●1843年   天保14年  ついに平山醇左衛門 処刑・・。

ここに武士階級の非情さがありますね・・問答無用というか・・お家大事というか・・。
幕府の介入を防ぐためとしても・・斬首とは・・なんとも辛い・・。

それ以外にも武雄領において、石橋壮右衛門・・中村俊硯・・川原播平・・ら死す。
これらの処置理由は、明確ではないらしい・・。高島秋帆に関連するものかも不明か・・。

しかし幕閣においては、天保の改革に対し、反水野派の巻き返し等もあり、水野忠邦が一時的に失脚せざるを得なくなる。

ここから幕府中央部は、反転する・・。

●1844年  天保15年   水野の懐刀だったのに、その水野を裏切ったらしい・・奉行 鳥居耀蔵・・ついに辞職!!!。

あーあ、もチョット早ければ・・死なずに済んだかも・・。
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平山醇左衛門・・・。

1809年~1843年。行年 34歳・・・。早いよね・・・。

平山さんの死から・・10年後・・・・そこから黒船と言う・・歴史的な大事件がおこる!!・・。

・1853年・・ペリーが浦賀に現れる。このあとの幕末騒乱状態は、皆さんが知ってのとおり。

・高島秋帆・・・永い投獄を経て、出所。その後幕府の砲術を指導していく・・。

・鳥居耀蔵・・・失脚後・・軟禁状態・・。そして明治6年死去・・結構生きているよね。

天保の時代は、まだ幕府から睨まれることを極端に恐れる時代でもあった。

しかし武雄領は、内々の処分を済ませると、ほとぼりが冷めるのを待つように・・更に西洋文明を取り入れていく。勿論茂義を中心に・・。

最近、秘密の大砲製造工場跡も発見された!!。
無念の死をとげざるを得なかった・・平山さんの意志を継ぐことも・・藩の人々の密かな願いだったかも知れないなあ・・。

そう思いたい!!・・

妖怪と恐れられた「鳥居耀蔵」・・の数々の弾圧事件。
そして、遠山金四郎、大塩平八郎さんらの反対派との暗闘。そこに、各地で起こる大飢饉や一揆・・。文字通り内憂外患。

更にアヘン戦争などに象徴される、欧州列国の植民地争奪戦

たかが大砲と言うなかれ。それらを武器に、軍事化を強固に押し進めようと考えた、先進的な人々と諸藩の動き・・。

それにしても早すぎた死・・。平山醇左衛門。武雄にとっても・・惜しい人材をなくした・・。

墓の丸い印は、処刑されたことを表していると・・地元の方が教えてくれた。

今でも郷土の誇りとして、地域の方達が墓の清掃や祭りなどをされていると聞く・・。

今回、農作業の手を休め、墓のことを教えていただいた地元の方・・・ありがとうございました

時々、この悲劇の先駆者を訪ねてくる人もあると言われていました・・・。

以上・・・ここまで読んでもらった方・・本当に感謝いたします!!。

武雄周辺の地域限定編でした。




                   

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-26 08:13 | 歴史?

妖怪と呼ばれた鳥居耀蔵と鍋島藩武雄領・・。悲劇の先駆者 平山醇左衛門・・第1。思い付くまま・・。

まぁ、なんかエライ題名でんなぁ・・。歴史学者でもないのに・・・。

タイトル見ただけで、他に飛んで行こうと思った貴方・・正解です!!?。

限定 武雄編ですから・・。それでも見ようと思った貴方・・エライ?!。

(年表)

●1830年  天保 元年  吉田松陰、大久保利通誕生。

●1831年  天保 2年   武雄領 オランダ式軍制に改める。ロシア船現る。

●1832年  天保 3年   芹沢鴨誕生 
鍋島茂義 武雄領主となる。
武雄領家臣の平山醇左衛門 長崎の洋式砲術家 高島秋帆に入門
鼠小僧捕まる!?・・・。

●1833年  天保 4年   桂小五郎誕生。大飢饉、一揆が多発。

●1834年  天保 5年   江藤新平、近藤勇、福沢諭吉誕生。
鍋島茂義 高島秋帆へ入門

●1835年  天保 6年   土方歳三、坂本竜馬、伊東甲子太郎誕生。
高島秋帆、鍋島茂義に日本で初めて鋳造した洋式大砲献上。

この人 誰?と言う名前が出たら、自己責任で調べてね。冷たい言い方だけど・・。


(ここで勝手な推測・・)


鍋島武雄領は長崎とはすぐ近くに位置する。このため長崎警備やオランダ商館等を通じ、当時の西洋の状況も早く知ることが出来た。当然、進取の気風に満ちていたと思われる。

また日本の近海には、列国の艦船も出没しはじめたり、幕府統制を揺るがすような大飢饉や一揆もおこり、いよいよ日本が、内憂外患とも言うべき状況になってきた。

要するに、難しい時期にさしかかった訳ね。そこで天保の改革・・水野忠邦・・出番か。

そして更に動乱予兆と言うか・・・年表の幕末・明治を彩る幾多の人材が、この天保を中心に、誕生することになる・・・。(これが日本にとって、大騒動になるが・・結果的に良かったね。)

勿論有名人は他にも多数いますが、勝手にカットしてます。その関係者やファンの方、申し訳ありませんね。
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武雄市山内町に・・平山さんの墓を案内する標識が・・道路側にたっている。

これを更に書くかどうかは・・・ひとえにワタクシの気持ちによる・・・(冷汗)。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-25 08:40 | 歴史?

「未婚率」と「できちゃった結婚」

23日の毎日新聞の記事の中に、「少子高齢化社会の明日を考える」と特集がありました。

その中に

●2005年から日本の総人口は減少している

●30歳代前半で見ると、女性の32% 男性の47%が未婚

●「出来ちゃった結婚」は、出産の2割~3割を占める

・・・と大学の教授が書いておられました。

そして・・・同じ日に。

郵送されてきた案内状がありました・・・。

それは、ブライダル相談会のご案内でした。これらの各種案内は、弊社には仕事柄よくお持ちいただいたり、郵送されてくる場合があります。

それは、忘年会・新年会の営業案内だったりします。

先ほどの中身を見ると「パパママウエディング」の案内なんです。
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更に読んでいくと・・。

現在婚姻数の4割近い方が「おめでた婚」であり、その中で諸事情により挙式・披露宴を諦める方が結構多くいらっしゃいます・・・。

そこで、おめでた婚をあげられるお二人を支援し、不安を解消しながらウエディングを挙げていただきたいとの趣旨でした。

その相談会とブライダル見学会のことだったのです。

ウーン?!。現実はそこまですすんでいるということですね・・・。そういえば、ワタクシの周辺でも、結婚式に仲人もほとんどたてられてないですね。挙式のありかたが変化しているということですか。

ところでこの企画は、地元の「御船山観光ホテル」さんからの案内だったんです・・。

まぁどんな事情であれ・・生まれた子供が元気に育つことが・・少子化の時代として、みんなの願いですよね・・。

by ta-ke-58-ta-xi | 2007-01-24 08:44 | 思うこと